台湾とはどんな国? そのお茶どころは? 

 台湾、またの名を中華民国、建国の父・孫文(孫中山とも称し、中華圏ではそれが通り名です、中山路や中山公園など地名に中山がよく登場するのはそのためです)は日本でも有名ですね。日本の元号に当たるのが”民国”、中華民国が成立した年から数えて何年経ったかということで、2017年は民国106年、2018年は民国107年です。

 
 台湾は、日本の九州島ぐらいの大きさの台湾本島と、澎湖諸島などその周辺の島々から成り立っています。中国大陸福建省厦門から目と鼻の先の沖合にある金門島も、台湾に属しています。日本の先島諸島の与那国島から台湾島まで遠泳する人もいるくらい日本とは近いところにあります。南はバシー海峡を隔てたお隣がもうフィリピンです。

 
 台湾島は、日本列島と同じく環太平洋造山帯が創り出した島で、南北に連なる中央山脈には標高3000mを越える山が、百座もあります。その最高峰は、旧帝國時代の名称・新高山からの「ニイタカヤマノボレ」で有名な玉山、なんと3952m、富士山より高いのです。温泉が多く湧き、地震も多いのは日本と同じです。

 

台湾 地図
台湾の中心(旧字体で臺灣とある辺り)がお茶どころ南投県

 
 私が住んでいた台中市の南、嘉義市を北回帰線が横切り、その北側が亜熱帯、南側が熱帯気候となっていますが、中央山脈に向かって標高が上がると気候帯も変化し、玉山の頂上に至っては寒帯ツンドラ気候です。標高による気候の違いを利用して、茶樹の栽培に最適な気候の土地を選んで栽培されているのが、台湾茶の特徴となっています。

 
 台湾に住む人の多くは、明朝末期から清朝にかけて、海峡を隔てた対岸の中国福建省から渡来した人たちの末裔や、かつて中国の戦乱期に中原から南に移動、各地に定住してきた客家という人たちで、本省人と呼ばれています。これに対して外省人と呼ばれるのが、第二次世界大戦後に国民党とともに大陸から移住してきた人たちです。また、アミ族、タイヤル族、パイワン族、ブヌン族、プユマ族、ルカイ族、ツォウ族、サイシャット族、タオ族、サオ族、タロコ族、クバラン族、サキザヤ族、セデック族といった原住民族の人たちもいます。人口比は、85%が本省人、13%が外省人、2%が原住民族です。

 

 そんな台湾の言語環境は複雑で、元々福建省方面から来た人たちは福建省の言葉である閔南(びんなん)語に近いホーロー語をしゃべり、客家の人たちは客家語をしゃべり、原住民族の人たちはそれぞれ自民族の言葉をしゃべっていました。ご存知のように日本統治時代は日本語が公用語となり、国民党がやって来てからは北京語が公用語となりました。

 
 国民党政権が一党独裁で戒厳令を敷いていた時代は北京語が強制されましたが、民主化の進展に伴い、台湾独自のホーロー語などが見直されるようになりました。今、普通の本省人の人たちは、ホーロー語と北京語が入り混じったような独特の言葉をしゃべっています。ちなみに、台北から高雄まで台湾島西部を縦断する台湾版新幹線”高鐵”に乗車すると、車内アナウンスは、まず北京語、次にホーロー語、そして客家語、最後に英語と、同じ内容が4つの言葉で繰り返されます。

 

 原住民族は、山岳地帯に居住していることが多く、私が訪れた天空の茶畑にある製茶場で働く人たちにも、原住民族出身者と思しき人達がいました。男性でも髪を長くして、ポニーテールのように後ろで一つに束ねています。平地の漢民族系の人たちより肌の色が浅黒く、腕や足首などにタトゥーを入れています。眉が濃く、目がぎょろりとしていて、ポリネシア系に近い印象でした。茶畑の中の製茶場は、戦前の抗日暴動を描いた映画『セデック・バレ』で有名な霧社という土地に近い山のうえだったので、セデック族の人だったのかもしれません。

 
 そして、台湾の一番のお茶どころは、南北に走る中央山脈の真ん中辺り、行政区域で言うと私が住んでいた台中市のお隣り、南投県です。日本で一番有名な台湾茶である凍頂烏龍茶は、この南投県の凍頂山というところで生まれました。烏龍茶の故郷である福建省のお茶どころと環境が似ているということで、この地に福建省から茶樹が移植され、台湾でのお茶の栽培が始まりました。

 
 現在、凍頂山はキャンプ場が出来たりして、台湾の人たちの憩いの場となり、茶畑は同じ南投県でもより標高が高くて、よりお茶の栽培に適した土地に移っています。台湾茶専門店フォルモサの風で取り扱うお茶も、その多くは、この南投県の茶畑で栽培されたものです。

 
 

凍頂山 茶畑
凍頂山 今はほとんど茶畑はありません

 


Top